長山靖生さんってオレとタメなんだ?
橋本治:著『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ(前篇)』北宋社
橋本治:著『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ(後篇)』北宋社
橋本治:著『秘本世界生玉子』北宋社(【参照】)
橋本治を単行本で(図書館で)読んでいたので、
「ぱふ」という誌名だけは知っていたんですが、
実際に雑誌そのものを手にしたことはなかった。
オレが最初に買って読んだのは分裂後の、
「ふゅーじょんぷろだくと」です。
1981年10月号。
御存知の「ロリコン」特集号。
「ふゅーじょんぷろだくと」1981年10月号
この号から、オレは多大なる影響を受けた。
影響というのは、この雑誌の中に、
大物ロリコン諸氏らしき皆様を集めた
匿名座談会のページがあって、
その誌面の本文では「(笑)」の代わりに、
写植記号BA-90が使われていたのである。
↓コレね。
菊池寛の発明であると伝えられる「(笑)」を否定し、
ニコニコ顔のマークで「(笑)」を表現する。
スマイルマーク! 反体制! フラワーチルドレン! さらば文藝春秋!
「これは新しい!」と思った。
思って、後に自分がインタビュー記事や対談記事を書くようになってから、
オリコンや学研で
このBA-90を原稿の中に使いまくった。
使い倒した。
もー使こた使こた。もー笑ろた笑ろた。
インタビュー構成ではない普通の文章でも、
あらゆる箇所で「(笑)」の代わりにBA-90を挿入した。
もー笑ろた笑ろた。
あんまりオレが使い続けているので、
そのうち真鍋公彦や藤井淳もマネをして使い始めて、
ある意味、あの時代の「アイドルライターの文章」を象徴するような
特徴的な記号にまでなっていった。
「みんなのもの」になってしまった。
編集部の内部では「誠壱っちゃんマーク」とまで呼ばれていたのだが、
実際は、それは「ふゅーじょんぷろだくと」からのパクリだったんですよ。
だから、あえて呼ぶなら「おがピー(たぶん)マーク」?
(手書き原稿の時代には、
原稿用紙のマス目の中にニコニコ顔を書いておけば済んだから
たしかに使いまくっていたけど、
デジタルで書くようになった今は、まったく使っていません。
指定が面倒くさいからネ!
…もちろん、そうなる前から、とっくに飽きて使わなくなっていたんだけど。)