ishikawasei1 メイ・ザ・フォース・ビー・ウィ

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ishikawasei1 メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー! 田中釣具店に栄光あれ! 10:55 AM Apr 22nd webから


【参照】


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ishikawasei1 すいませんミキちゃん派だったもので。片目に眼帯。スカートのポッケに手ェ突っ込んでオナニー。エロエロ! 10:58 AM Apr 22nd webから


【参照】


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ishikawasei1 でもオールナイトニッポン『ビバ・キャンディーズ』キャンペーンでドツル師匠のサンスペに3人でゲストで出て『ミッドナイトストーリー』やってた時の、スーちゃんの「あなたのものをしゃぶらせて?」という台詞は極上にエロかった! ペップ出版の単行本『ビバ・キャンディーズ』に台本が載ってます。 11:02 AM Apr 22nd webから


20110423121825 オールナイトニッポンキャンディーズ:編著『ビバ・キャンディーズペップ出版


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ishikawasei1 ドツル師匠との別のコントには「文豪夏目漱石の孫、夏目雅子」なんて台詞もあったんだよね。 11:34 AM Apr 22nd webから


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ishikawasei1 必要なことは全部『昭和噂八百』ガセの第5週『キャンディーズのまき』の超々長文解説に書いてあります。 http://mobilecomic-guide.com/item/1123/254540 11:43 AM Apr 22nd webから

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【追記】


ほんだばはー、
『昭和噂八百/キャンディーズのまき』の解説を
完全版で一挙に転載。


20110423122343


1/7
ただいま大人気のテクノ系アイドルユニット「Perfume」。女の子3人組であることから「平成のキャンディーズ」と呼ばれてもいいのに、そう呼ばれることはない。むしろアルバム『GAME』がオリコン第1位になったことで「テクノ系3人組ユニットでアルバムが1位になったのは、YMO以来」という、奇妙な括り方をされている。


2/7
ナベプロが経営する芸能学校「東京音楽学院」出身の女の子たちで結成され、1973年にシングル『あなたに夢中』でデビューしたアイドルグループが「キャンディーズ」。ランこと伊藤蘭、スーこと田中好子、ミキこと藤村美樹の3人組。デビュー前には、もう一人を加えて4人組にする…という予定もあった(その新グループは、やはり4人組アイドルだった「ゴールデン・ハーフ」の後任として、『8時だョ!全員集合』のアシスタント役に起用されることが決まっていたため)。けっきょくキャンディーズには加入せず、後にソロデビューすることになる「もう一人」とは太田裕美。ちなみにYMOにも、最初の予定ではメンバーに加わるはずだった「幻の4人目」がいて、それは画家の横尾忠則だったらしい!? そういえばPerfumeにも、デビュー前に脱退した「4人目」がいるよねっ!


3/7
初期のキャンディーズは、いちばんアイドル系のルックスで最年少のスーちゃんを中央のボーカルにしていたが、あまりレコードの売り上げは伸びなかった。そこでファン層のターゲットを、思春期の少年たちへ向けて明確に絞り、お姉さん系のランちゃんをセンターに据えた新曲『年下の男の子』をリリース。これが大ブレイクする。その後もキャンディーズの現場スタッフは、まだ当時のアイドル界では珍しい手法だった「アルバムの人気曲をシングルカット」(『春一番』)、「作曲にフォークの神様・吉田拓郎を起用」(『やさしい悪魔』『アン・ドゥ・トロゥ』)など、せっかくの彼女たちの歌唱力を活かそうと、アイドル歌謡曲ではあっても、なるべく音楽性を高めるための努力をしていた。しかしナベプロ社長・渡辺晋は「しょせんアイドルなんだから、ドリフと一緒に体操でもやらせとけばいい。レコードなんて二の次」という考え方だったため、現場マネージャーの大里洋吉とは常に対立していたという。


4/7
こうしてキャンディーズの人気は定着した。怪物的パワーで追い抜いていった後輩のピンクレディーには、さすがに敵わなかったが…。そんなデビュー5年目の夏に、キャンディーズはメンバー3人だけで話しあい、マネージャーにも内緒で解散を決意。日比谷野外音楽堂でのコンサートで突然、「普通の女の子に戻りたい!」という歴史に残る名言とともにグループ解散を発表してしまう。ファンも驚いたが、大里マネージャー以下のスタッフ全員は、もっと驚いた。けっきょく大里は「解散するのは半年後にまで延ばそう。それまでは全力でサポートする。ピンクレディーも追い落として、念願の第1位も獲得させてやる」と約束することで、3人を納得させた。さあ、そこからの半年間、すでにナベプロから独立することを決めていた大里のプランによる、キャンディーズ解散プロジェクトはフル回転。約束通りにラストシングル『微笑がえし』を第1位にして、後楽園球場の解散コンサートで「私たちは幸せでした!」の言葉を3人から引き出すまで、裏方として獅子奮迅の大活躍を続けていた。そこまで盛り上げる力の土台となったのが、男子大学生を中心にしたファンクラブ会員たちの協力だった。それまで、グループサウンズのブーム当時から、女性ファンによる「男性アイドルのファンクラブ活動」というものは機能していたが、男性ファンによる「女性アイドルのファンクラブ」は皆無に近かった。(思春期の男子はカッコつけて、「女コドモみたいな、ミーハーなこと」はイヤがるから。)そんな時代の中で、ほぼ日本で初めて、女性アイドルのファンである男性たちを「ファンクラブ」という形で組織化した仕掛人大里洋吉だったのである。いわゆるハッピを着てハチマキを巻いた、男性ファンの「親衛隊」というものも、キャンディーズ以前には、まず見られない光景だった。全国的に統括されたキャンディーズのファンクラブ会員は「全キャン連」と称され、彼らの中の一部はキャンディーズの応援歌を自作して歌い、レコードまで発売している。それも大里マネージャー流の、素人の手なずけ方だったのだ!


5/7
大里洋吉は、キャンディーズ解散までの一連のブーム作りを置き土産に、ナベプロから独立する。それからはバーニングプロと協力し、吉田拓郎がプロデュースするフォーライフレコード期待の新人・原田真二の売り出し作戦に参加。短い期間で原田をニューミュージック界のトップアイドルに育てることに成功した。そして新プロダクション「アミューズ」を設立するが、当初は所属アーティストといっても、キャンディーズのライブでバックの演奏を担当していた新田一郎率いるバンド「MMP」(後に「スペクトラム」としてデビュー)ぐらいしかいなかった状態。そこで見つけてきた泥だらけの原石が、サザンオールスターズだったのである。本当に短い期間で、キャンディーズの頃から築き上げてきた人脈をフルに使って、サザンをテレビに出演させまくってアッという間にスターにしてしまったことが、大里のヤリ手ぶりを最も良く表わしている。その後の、サザンを中心としたアミューズの隆盛は御存知の通り。なお、キャンディーズが去り、大里も失ったナベプロの側には、大里が身をもって示したファンクラブ運営のノウハウと、組織化された男性ファンの一群だけが残った。それを丸のまま利用して、ナベプロが売り出した新人女性アイドルが石川ひとみだった。形だけ真似をしてもダメなものはダメで、ナベプロが再びキャンディーズ並みの人気アイドルを育てることは出来なかったのだが、そういう経緯のおかげで、石川ひとみ以降、大滝裕子や水野きみこなどの、ナベプロ女性アイドルの男性ファンというのは異常なまでに組織化されていて、異常なまでに根強い。その根強さは松本明子のデビューあたりまで持続していた。


6/7
「アイドルはテレビに出しておけば十分」と考える渡辺晋に反発していた大里は、キャンディーズの売り方について、当時のフォークシンガーの人気から多くを学んでいたようだが、ファンとの間に結束を強めるため「テレビよりもラジオ番組を大事にする」というフォーク歌手的な方法も、キャンディーズに関しては取り入れていた。彼女たちの自前の番組を大事にするのはもちろん、解散までの半年間で『オールナイトニッポン』全曜日の全パーソナリティーキャンディーズを応援してもらう『オールナイトニッポン・ビバ!キャンディーズキャンペーン』という大きな仕掛けまで成功させている。後楽園の解散コンサートはテレビ中継ではなく、『オールナイトニッポン』でのラジオ中継がされていたぐらいだ。だからステージ上には実況アナウンス席が設けられていて、そこに火曜日1部・2部のパーソナリティーである所ジョージ近田春夫が座って、ずっと喋っていたのである。そういえばアミューズ所属のタレントも、桑田佳祐福山雅治ポルノグラフィティをはじめ、傍系では嘉門達夫やイリアまで含めて、ラジオを大切にする人が多い、という印象だ。そんな中でもアミューズ最大のラジオスターは三宅裕司であろう。


7/7
80年代にニッポン放送で、土曜日の夕方に『電話好きっ子ラジオっ娘・うちのママには内緒なの』という番組があった。リスナーの女子中学生・女子高校生から電話を受け付けて、ちょっとエッチな体験談を語ってもらう…という内容で、プロ野球のナイター中継がオフになる期間だけを穴埋めする番組だったのだが、好評のため、野球シーズンが始まっても終了させるには惜しく、その間は『オールナトニッポン』の枠を使って続行されていたぐらいの人気企画である。そこでMCを務めていたのが「ラジオっ娘」と呼ばれる素人同然の女の子3人組。彼女たちを売り出そうとしたのがアミューズである。サザンの成功以来、バンドばかりの事務所と思われていたアミューズだったが、なにしろ大里洋吉には「自分はキャンディーズを売った功労者。女の子3人組アイドルを手がけてこそ我が会社」という絶大な自信があったはずで、最も「血筋として近い」ポスト・キャンディーズは、このラジオっ娘である。…しかし売れなかった。苦しんで「Lady,Oh!(レディー・オー)」と改名させてみたが、やっぱり売れなかった。(ちなみにメンバーの水島かおりは、女優に転向して、そこそこ活動している)女の子グループのアイドルが我が社では売れない? そんなはずはない…とリベンジを誓ったアミューズは、TBSテレビの深夜番組『三宅裕司の土曜深夜族』に出演していた女の子たち8人組を「エンジェルス」としてデビューさせたが、それも売れなかった。(ちなみにメンバーの奥貫薫は、女優に転向して、そこそこ活動している)その番組がリニューアルされて、新たに始まったのが御存知『イカ天』だから、アミューズは「バンドを売り出せば成功するけど、キャンディーズみたいなのは、もうダメ」というジンクスから逃れられなかったのだ。だからPerfumeの成功こそ、まさに悲願達成。ダテに8年間も下積みを続けさせていたわけではない。